バレーボールの全日本の注目選手をご紹介します。
今回ご紹介するのは、昨年ワールドカップで大活躍!
V.LEAGUE Division1の堺ブレイザーズ 関田誠大選手です。
関田選手のプロフィール、経歴についてまとめました。
それではいってみましょー!
関田誠大選手のプロフィール
- 関田 誠大(せきた まさひろ)
- 1993年11月20日生まれ
- 出身地:東京都江東区
- 血液型:B型
- 身長:175cm
- 体重:73kg
- ポジション:セッター(S)
- 指高:225cm
- スパイクジャンプ:320cm
- ブロックジャンプ:305cm
- 利き手:右
関田誠大選手のバレーボール経歴

小学1年生 姉の影響でバレーボールを始める。
東金町ビーバーズ所属(全国大会上位常連)
中学校 駿台学園中学校入学(2006年4月)
中学3年生 全中優勝(2008年8月)
高校 東洋高校入学(2009年4月)
1年生からレギュラー
高校1年生 春高優勝(2010年3月)
1個上にエース柳田将洋選手
大学 中央大学入学(2012年4月)
大学1年生 全日本ジュニア代表選出
アジアジュニア男子選手権大会 MVP獲得(2012年秋)
大学2年生 第17回世界ジュニア男子選手権大会(U-21)出場(2013年9月)
キャプテン
大学3年生 全日本大学選手権優勝(2014年) セッター賞獲得
2個下に石川祐希選手
大学4年生 キャプテン就任
ユニバーシアード(Uー23)日本代表
全日本大学選手権優勝(2015年) MVP&セッター賞獲得
天皇杯 サントリー(プレミアリーグ)撃破
2016年4月 パナソニックパンサーズ入団
同期 山内晶弘選手、今村貴彦選手
しかし、パナソニック正セッターには深津英臣選手がおり、関田選手は控えであった。
2018年9月 パナソニックパンサーズ退団
2018年10月 堺ブレイザーズ入団
全日本選出
2016年(大学4年生) 全日本初選出
2018年 世界選手権出場
2019年 ワールドカップ出場 28年ぶりの4位!
その立役者となった。
中学時代

東京都の駿台学園へ進学します。
セッターとして各カテゴリーで輝かしい成績を収めてきた関田選手。
しかしずっとセッターではありませんでした。
駿台学園中学校は、平成16年度全国大会から数えて、全国大会15回出場しそのうち優勝7回、準優勝4回している中学バレーの超超名門校です。
関田選手は1、2年生の頃はリベロでした。
しかも控えリベロで試合に出る機会はほとんどありませんでした。
転機が訪れたのは3年生。
関田選手はセッターに転向しました。
それまで試合に出ることができなかった関田選手ですが、セッターとしての力をメキメキと付けていきます。
そして、中学最後の大会”全中”でセッターとして出場し創部以来初の全国優勝を果たしました。
当時の駿台学園中学校の最高成績は準優勝、悪くてもベスト8以上には入っており上位常連でしたが優勝はありませんでした。
駿台学園中学校は関田選手の代が優勝してから全中4連覇を成し遂げました。
関田選手は駿台学園黄金時代を築くパイオニアとなったのです。
ここから関田選手のバレーエリート街道の始まりです。
高校時代

東京都の東洋高校へ進学します。
きっかけは、1学年上の現全日本キャプテン柳田将洋選手から誘われたからです。
柳田選手の父親と関田選手の父親が知り合い同士だったため、柳田選手と関田選手は小学生の頃からの仲でした。
関田選手は1年生からレギュラーとして試合へ出場。
そして、1年生の3月”春高”で東洋高校初優勝へ導きました。
大学時代

大学は中央大学へ進学します。
中学・高校で全国制覇を果たし、世代No.1セッターとしてすっかり有名になった関田選手。
1年生、2年生の頃にアンダーカテゴリー(U-21・U-23)で日本代表に選ばれます。
U-21(ジュニア代表)ではキャプテンとしてアジア大会に臨み、MVPを獲得します。
3年生になり、2学年下に全日本のエース石川祐希選手が入学します。
超エリート街道を歩んできた関田選手と高校6冠を果たした大エース石川選手との組む合わせやばいですよね。
1年間の集大成”全日本大学選手権(全日本インカレ)”で優勝し、セッター賞獲得します。
翌年、”全日本大学選手権(全日本インカレ)”2連覇、MVP&セッター賞獲得します。
もうこの段階において日本のセッターとして歩んでいる関田選手。
パナソニック入団

中央大学卒業後、プレミアリーグ(現在はV.LEAGUE Division1)のパナソニックパンサーズへ入団。
パナソニックパンサーズは全日本選手が多く在籍しており、ゴリこと清水邦広選手、福澤達哉選手、深津英臣が所属しています。
同期は山内晶弘選手。
しかし、そんなエリート街道を歩んできた関田選手でしたが大きな壁が立ちはだかります。
深津英臣選手です。
深津選手はパナソニックのキャプテンであり、チームの精神的柱でした。
そのため大事な試合に出るのはいつも深津選手。
関田選手は控えで、点差が開いたときや格下相手の試合で出場していました。
2020年のオリンピック開催地が東京に決まり、オリンピック出場が視野に入ってきた関田選手は焦り始めます。
「オリンピックに出たい。でもこのままでは試合出場機会が少なく実戦経験が積めないままだ。それに試合に出れないということはアピールができないため、全日本メンバーに召集される可能性が低くなってしまう。」と。
そこで関田選手は決心をします。
パナソニックパンサーズ退団
2年半所属したパナソニックパンサーズを退団し、堺ブレイザーズへ入団します。
堺ブレイザーズで1年シーズンを迎え、上位進出とはなりませんでしたが、毎試合スタメンで出場することができ、実践を積むことができました。
ワールドカップで28年ぶりの4位!
所属チームを変え、実践を積むことができた関田選手は2019年ワールドカップでは日本代表の正セッターとして出場し、見事28年ぶりの4位に大きく貢献しました。
まとめ
これまで各カテゴリーでタイトルを総ナメにして来た関田選手。
高校時代には現全日本キャプテン柳田選手と全国優勝し、
大学時代には日本のエース石川選手と全国優勝しています。
そんな関田選手は今後日本の中心選手になっていくこと間違いなしです。
東京オリンピックでの関田選手の活躍に期待が膨らみます。
2020年もバレーボールを楽しんでいきましょう。
それではまた!