巨人のキャプテンとしてチームを引っ張っている「坂本勇人選手」。
以前に母子家庭で育ててくれた母を癌で亡くしていました。
そこで今回は、
- 坂本勇人選手の母の死因は小腸癌
- 泣けるホームランエピソード
- 坂本勇人選手が母の命日にしていること
についてまとめていきたいと思います。
坂本勇人の母・松村輝美の死因は小腸癌だった

2007年06月19日、坂本選手が読売ジャイアンツに入団して1年目に母・松村輝美さんが小腸癌でお亡くなりになられました。
享年47歳でした。
坂本選手が幼い頃に母・松村輝美さんは、坂本選手の父・坂本喜代三さんと離婚しており、
松村輝美さんが子供3人を引き取り、女でひとつで子供3人を育ててきました。
喜代三さんはアメリカに牧場を持ち、ファミレスなどに食肉を卸す仕事をしていました。
その仕事柄、日本にいることが少なく、離婚の原因となったのではないかと言われています。

母子家庭では生活するだけでも大変だと思いますが、松村輝美さんはそんな不自由を感じさせず子供3人とも野球をしていました。
長年体を酷使し続けてきたガタがきたのでしょうか。
47歳とまだまだお若い年齢でしたが、がんを患いお亡くなりになられました。
【泣ける】坂本勇人のホームランエピソード

坂本勇人選手には母に送るホームランエピソードがあります。
2007年、坂本選手がドラフトでプロ入りした時には、母はすでにがんに侵されていました。
がんを患い母の体調がよくないことをわかっていた坂本選手は、生きてるうちにプロで活躍する姿を見て欲しいという思いから、母を試合に招待します。
2007年5月12日、まだ入団したばかりで2軍の試合でしたが、
兵庫県姫路市で行われた、イースタン・リーグの北海道日本ハムファイターズ戦に、闘病中の母を招待します。
”最後に母に活躍しているところを見せたい”
その想いで臨んだ試合は、坂本選手の第1打席の初球、いきなりホームランを放ちました。
その後も二塁打を放つ大活躍で、母の輝美さんは涙を流して喜んでいたそうです。
この試合の約1か月後の6月19日、輝美さんはお亡くなりになられました。
坂本勇人が母・松村輝美の命日にしていること

坂本選手は毎年、母の命日である6月19日の試合には、
G2の「LETTER~おかんに贈る音の手紙~」を登場曲に使用しています。
坂本勇人 母の日の登場曲
LETTER〜おかんに贈る音の手紙〜 pic.twitter.com/bUCdg887tX
— ころ🐢 (@YG__koro) May 13, 2018